どうしてこんなに悲しいんだろう
よしだたくろう
「どうしてこんなに悲しいんだろう」
作詞・作曲 よしだたくろう
昭和46年(1971年)
いつかは書いてみたかった・・・吉田拓郎です
現在J-POPと呼ばれている音楽は、吉田拓郎によって築き上げられたといっても過言ではない
イヤ、音楽的に吉田拓郎がパイオニアだったという訳じゃないけどね
職業作曲家による歌謡曲が趨勢だった時代に、自作自演が新しい流れとなって、いつしか主流になっていった・・・
まあ平たく言うと、吉田拓郎は売れたんだよ(笑)
フォークは商売になるぞ!とレコード会社が、音楽業界が変化したのが大きいんですね
吉田拓郎は「フォーク界のプリンス」と呼ばれていた
「結婚しようよ」「旅の宿」が大ヒットして、アイドル的な人気もあったんだ
今の若い人にはなかなか信じてもらえませんが(笑)
やはり女の子にキャーキャー言われないとブームは作れないし、時代を変える事はできないんです・・・ビートルズもそうでしたしね
それまでの日本のフォークは関西フォークが主流で、みんな若いのにオッサンみたいな風貌だったもんな(笑)
戦争や政治に対するプロテストなんかを歌っていて、プロ志向のないアマチュアリズムがあったんだ
吉田拓郎は違うよね・・・なんたって、プロになるために東京に出てきたんだから
吉田拓郎はフォークじゃないんだと思う
ボブ・ディランが好きで、フォークになってしまったような気がする
学生時代はバンドでサム&デイブの「ホールド・オン・アイム・カミング」なんかを演っていたらしいし、意外にR&Bなんだよ
そのバンドでの拓郎のオリジナル曲「好きになったよ女の娘」は、後にモップスがヒットさせた「たどりついたらいつも雨降り」と同じメロディで、ローカルな人気曲だったっていうくらいだ(アレンジも近いらしい)
戦後すぐに生まれた吉田拓郎は、ビートルズ以前のアメリカン・ポップスに親しんでいた・・・中尾ミエがアイドルだったなんて人なんだから(笑)
吉田拓郎はとにかくカッコ良かった♪
テレビには出ないが、CMソングは歌う(笑)
テレビには出ないが、ラジオの深夜放送でストレートに喋りまくる・・・
ミュージシャンのラジオでのパーソナリティの走りだ
当時、テレビはお茶の間に1台という時代だからね〜若者が一人部屋で聞くのはラジオだったんだ
飾らないトークはベビー・ブーム世代に圧倒的な支持を受けて、若者のオピニオン・リーダーとされていた時代があったんだよ
吉田拓郎の影響でボブ・ディランのレコードが売れ、フォーク・ギターが売れた
果てはジーンズやダンガリー・シャツ、ハーモニカ・ホルダーなんかもね
拓郎を真似するアマチュア・シンガーが巷にあふれ、中には喋りだけを真似するツワモノもいたらしい・・・歌えよ!(笑)
長渕剛もその流れといえるだろう
ボブ・ディランの伝道師、みうらじゅんも名前を平仮名にしているのは拓郎の影響だろうね〜当時は吉田拓郎ではなく、よしだたくろう名義で活動していましたからね
「どうしてこんなに悲しいんだろう」はアルバム「人間なんて」の収録曲
アルバム・ジャケットは拓郎のマンションで撮影されている・・・アパートじゃないんだよね
この感覚が新しいんだ・・・フォークの貧乏臭さとは一線を画している
(今回はアルバム・ジャケットではなく、デビュー当時の拓郎の画像にしてみました)
デビュー当時は日本初のインディーズ・レコード、エレック・レコードからのリリースで、東京都内のレコード店には置いてあったりするが、地方では通信販売だったりする
拓郎もエレック・レコードの社員になったりしてね・・・この経験が後のフォーライフ・レコード設立に役立った・・・なんて話は聞きませんが(笑)
CBSソニーへ移籍して「結婚しようよ」で大ブレイクする前の話です
東京へ出てきたものの、売れずに広島へ帰ろうとしていた・・・
そんな時、雨が降ってきて泣きそうになった・・・
こうしてこの曲は生まれた・・・自然発生的に口をついて出てきたらしい
拓郎にとっても特別な愛すべき曲で、2回もリテイクしているナンバーでもある
シングルにはなっていませんが、ファンにとっても拓郎に打ちのめされた・・・まさに代表曲なんだと思います
「どうしてこんなに悲しいんだろう」・・・割と最近の映像ですが、しっかりシャウトしていて何だか嬉しくなります
竹内まりやの「静かな伝説(レジェンド)」は、この曲のリスペクトだろうね・・・さすが拓郎ドンピシャ世代だ
歌詞は拓郎とは無関係で、浅田真央の事を歌ったみたいですが(笑)
えっ?浅田美代子じゃないよ!(笑)
しかし、どうしてこんなに素直な歌詞なんだろう
これは頭でっかちになりがちな、拓郎以前のフォークとは全然違う
プロフェッショナルな音楽という訳でもないし・・・
これは「歌」なんだな・・・率直に心に訴えかけてくるんだ
人は孤独な自由を求めてしまうが、不自由な共存こそが尊く、また愛おしい・・・
これは大人になっても沁みる曲ですね♪
「どうしてこんなに悲しいんだろう」
作詞・作曲 よしだたくろう
昭和46年(1971年)
いつかは書いてみたかった・・・吉田拓郎です
現在J-POPと呼ばれている音楽は、吉田拓郎によって築き上げられたといっても過言ではない
イヤ、音楽的に吉田拓郎がパイオニアだったという訳じゃないけどね
職業作曲家による歌謡曲が趨勢だった時代に、自作自演が新しい流れとなって、いつしか主流になっていった・・・
まあ平たく言うと、吉田拓郎は売れたんだよ(笑)
フォークは商売になるぞ!とレコード会社が、音楽業界が変化したのが大きいんですね
吉田拓郎は「フォーク界のプリンス」と呼ばれていた
「結婚しようよ」「旅の宿」が大ヒットして、アイドル的な人気もあったんだ
今の若い人にはなかなか信じてもらえませんが(笑)
やはり女の子にキャーキャー言われないとブームは作れないし、時代を変える事はできないんです・・・ビートルズもそうでしたしね
それまでの日本のフォークは関西フォークが主流で、みんな若いのにオッサンみたいな風貌だったもんな(笑)
戦争や政治に対するプロテストなんかを歌っていて、プロ志向のないアマチュアリズムがあったんだ
吉田拓郎は違うよね・・・なんたって、プロになるために東京に出てきたんだから
吉田拓郎はフォークじゃないんだと思う
ボブ・ディランが好きで、フォークになってしまったような気がする
学生時代はバンドでサム&デイブの「ホールド・オン・アイム・カミング」なんかを演っていたらしいし、意外にR&Bなんだよ
そのバンドでの拓郎のオリジナル曲「好きになったよ女の娘」は、後にモップスがヒットさせた「たどりついたらいつも雨降り」と同じメロディで、ローカルな人気曲だったっていうくらいだ(アレンジも近いらしい)
戦後すぐに生まれた吉田拓郎は、ビートルズ以前のアメリカン・ポップスに親しんでいた・・・中尾ミエがアイドルだったなんて人なんだから(笑)
吉田拓郎はとにかくカッコ良かった♪
テレビには出ないが、CMソングは歌う(笑)
テレビには出ないが、ラジオの深夜放送でストレートに喋りまくる・・・
ミュージシャンのラジオでのパーソナリティの走りだ
当時、テレビはお茶の間に1台という時代だからね〜若者が一人部屋で聞くのはラジオだったんだ
飾らないトークはベビー・ブーム世代に圧倒的な支持を受けて、若者のオピニオン・リーダーとされていた時代があったんだよ
吉田拓郎の影響でボブ・ディランのレコードが売れ、フォーク・ギターが売れた
果てはジーンズやダンガリー・シャツ、ハーモニカ・ホルダーなんかもね
拓郎を真似するアマチュア・シンガーが巷にあふれ、中には喋りだけを真似するツワモノもいたらしい・・・歌えよ!(笑)
長渕剛もその流れといえるだろう
ボブ・ディランの伝道師、みうらじゅんも名前を平仮名にしているのは拓郎の影響だろうね〜当時は吉田拓郎ではなく、よしだたくろう名義で活動していましたからね
「どうしてこんなに悲しいんだろう」はアルバム「人間なんて」の収録曲
アルバム・ジャケットは拓郎のマンションで撮影されている・・・アパートじゃないんだよね
この感覚が新しいんだ・・・フォークの貧乏臭さとは一線を画している
(今回はアルバム・ジャケットではなく、デビュー当時の拓郎の画像にしてみました)
デビュー当時は日本初のインディーズ・レコード、エレック・レコードからのリリースで、東京都内のレコード店には置いてあったりするが、地方では通信販売だったりする
拓郎もエレック・レコードの社員になったりしてね・・・この経験が後のフォーライフ・レコード設立に役立った・・・なんて話は聞きませんが(笑)
CBSソニーへ移籍して「結婚しようよ」で大ブレイクする前の話です
東京へ出てきたものの、売れずに広島へ帰ろうとしていた・・・
そんな時、雨が降ってきて泣きそうになった・・・
こうしてこの曲は生まれた・・・自然発生的に口をついて出てきたらしい
拓郎にとっても特別な愛すべき曲で、2回もリテイクしているナンバーでもある
シングルにはなっていませんが、ファンにとっても拓郎に打ちのめされた・・・まさに代表曲なんだと思います
「どうしてこんなに悲しいんだろう」・・・割と最近の映像ですが、しっかりシャウトしていて何だか嬉しくなります
竹内まりやの「静かな伝説(レジェンド)」は、この曲のリスペクトだろうね・・・さすが拓郎ドンピシャ世代だ
歌詞は拓郎とは無関係で、浅田真央の事を歌ったみたいですが(笑)
えっ?浅田美代子じゃないよ!(笑)
しかし、どうしてこんなに素直な歌詞なんだろう
これは頭でっかちになりがちな、拓郎以前のフォークとは全然違う
プロフェッショナルな音楽という訳でもないし・・・
これは「歌」なんだな・・・率直に心に訴えかけてくるんだ
人は孤独な自由を求めてしまうが、不自由な共存こそが尊く、また愛おしい・・・
これは大人になっても沁みる曲ですね♪
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Comments
中ジャケット!マニアックすぎます♪
表ジャケットの写真は拓郎の自宅マンションの階段で撮影・・・だった筈です
あれ、フォーライフから出た復刻CDは写真ではなくイラストになっている・・・ネガが紛失したんでしょうか?
あの頃、拓郎のテレビ出演は限られていて・・・その映像は「セブンスター・ショー」かな?
後は「ミュージック・フェア」で、かまやつひろしと「シンシア」を歌った・・・くらいしか記憶にありません(笑)
そうなんだ〜ギターを始めたきっかけは、ビートルズではなく拓郎だったんだね!
拓郎はその存在感に圧倒されていました
子供の頃は、フォークというのは若者たちが綺麗な声で静かに歌うものだと思っていましたね(笑)
だから拓郎の歌い方が衝撃的だったのかもしれない
メロディもよくわからないし(笑)何故惹かれるんだろう?と思っていた小学生でした
拓郎バージョンの「雪」にはビックリしましたね…音楽的にリスペクトしたのは多分あの曲からです
そして「春だったね」の独特な日本語の乗せ方!あれで完全にミーハーになりました(笑)
後で知りましたが、あの曲、ボブ・ディランの「メンフィス・ブルース・アゲイン」なんですよね
往年の拓郎の曲は今聴き返してみると、やっぱり歌詞がいいですね♪
酒でも呑みながらじっくり聴きたくなります…自分は滅多に家飲みはしませんが(笑)
LP人間なんての中ジャケットの事でしょうか?
ビグスビー付きの白いテレキャスとハイライトが写っていたのを覚えています。
私はビートルズを聴く前は、よしだたくろうばかり聴いていました。
人生を語らずまでは、相当真面目(笑)に聴いていたのですよ。
当時何かの番組で、ギター弾きすぎてこんな指先になっちゃった!って指先を見せてくれた。
あれ何の番組だったのかな?
私がギターを弾くきっかけを作ってくれたのは、たくろうさんなのです。
ただ当時は絶叫型の曲より、大人しく歌っている曲のほうが好きでした。
まだ13、14歳でしたから(笑)
なんでオジサン、オバサンがあんなにタクロ〜♪って騒いでいるのか?よくわからないと思う
吉田拓郎がメジャーになった事でシンガー・ソングライターという言葉が一般的になって、これからは自作自演の時代だ♪自作自演が格好いい♪となったんだと思う
日本の音楽界への影響は実はビートルズ以上かもしれないよ
自分が作詞作曲を始めたのも拓郎の影響です
また拓郎はテクニシャンじゃなかったからな〜歌もギターも作詞も作曲もね
これなら俺でもできるんじゃないか?と思わせてくれたんだ(笑)…そういう人は多いんじゃないかな
拓郎はパック・イン・ミュージック、それから裏番組のオールナイト・ニッポン、セイ・ヤングと全制覇している
身近な存在に感じられたのは、やっぱりラジオの力が大きいと思う
拓郎が若い世代にリスペクトされないのは、今の音楽ファンがクォリティを求めすぎなのかもしれない
クォリティを問われるというのは、その音楽が既に定型的なパターンに陥っているって事で、全然新しい音楽じゃないし、面白い音楽でもないって事なんだと思う…なかなか偏屈な意見でしょう?(笑)
拓郎はクォリティよりもとにかく新しい表現、もっとしっくりくる表現を求めて、無茶苦茶やってたんだと思うな
「どうしてこんなに悲しいんだろう」はシングル曲ではなかったけど、拓郎世代の心のヒット曲
ドンピシャ世代は自分より2、3歳〜5歳くらい上かな?
ホント、この曲は当時よりも、オジサンになった今の方が響いてくるんです
マーボ、歌ってるんだ〜それは渋いね♪
さすが、わかる人はわかっているんだな…
♪人の心は温かいのさ〜でグッと来ますが、
ラストの♪明日になると、いつもの様に心を閉ざしている僕さ〜で完全にヤられますね
さすが、わかる人にはわかるんだな…
これは若い世代にも聴いてほしいし、多分吉田拓郎の曲では後世に残る一曲だと思います♪
オレが吉田拓郎で好きなのは、これたった1曲だよ!
吉田拓郎はリアル当時(小学生だったけど)からどうも好きじゃなく、もちろん曲も全然知らなくて、今まできましたけど、つい最近OLD★JUNKY相棒のブラザーマーボから教えてもらい、シビれたのがまさにこの曲。
マーボがボソッと歌うと、これがまたカッコいいんだわあ。
いろんな経験積んだうえで、ハートに響く曲だよね。
明日になるといつものように、心閉ざしているテツでした♪
ウ〜ン、見抜かれてますな〜(笑)
こんなブログを書いてはいますが、音楽を言葉で表現できる…なんて思い上がってはいないつもりです
結局、自分の事を書いているんだ…と思いますね
ただ懐かしい曲じゃダメなんだ…やはり今の自分に響いてこないと、取り上げる意味がないですからね
吉田拓郎と佐野元春はブログ開設の頃から、いつかは書いてみたいと思っていたんです
書くとなると、時代のカリスマを自分がどう受け止めたか?という事になるので、なかなか難儀なんですよ(笑)
陽水、泉谷 いいですね
実はどちらも過去にトライしてボツにした事があります(笑)
あとはYouTube次第ですね♪