路地裏の少年
浜田省吾
「路地裏の少年」
作詞・作曲 浜田省吾
昭和51年(1976年)
「浜田といえば金吾です」
なんてコピーが昔、ラジオから流れていました
似たような名前を逆手に取った宣伝文句でしたが、浜田金吾本人はどう思っていたのか…
イヤだったんだろうなぁ(笑)
(その後は作曲家として活躍)
そういえば「いつのまにか君は」の浜田良美!いたね〜
浜田良美はあれから長渕剛のコーラスを長い間やっていました
コーラスというより、あれはサイド・ヴォーカルかな
「とんぼ」などレコードでも彼の声が聞けます
(長渕剛の多重録音ではないんです)
浜田省吾は吉田拓郎(当時は よしだたくろう)のバック・バンドをつとめていた愛奴(あいど)でデビュー
「二人の夏」(浜田省吾作詞作曲)は忘れられない曲だなぁ
ビーチ・ボーイズの焼き直しですが、お気に入りでしたね
同い年で、同じ年にシュガーベイブでデビューした山下達郎も、後にカバーしています
愛奴では浜田省吾はドラマーだったんです
吉田拓郎は当時から「あいつのドラムは酷い!」とラジオでけなしていましたね
だから、よく聞きもしないで「下手なんだ〜」と思い込んでいました(笑)
浜省、ゴメン
拓郎は愛奴では青山徹のギター・プレイがお気に入りだったみたいですね
拓郎のシングル「おきざりにした悲しみは」でも青山徹のギターが大々的にフィーチャーされています
「二人の夏」はお世辞にもヒットしたとは言えず、愛奴はサウンド志向に方向転換…
作曲では貢献していたものの、演奏力のない(失礼)浜田省吾は脱退する事に…
そして、浜田省吾は「路地裏の少年」でソロ・デビューする事となります
このイントロには心を奪われたな〜!
まさしく颯爽とデビューした♪という印象です
なかなか当時はこんなポップなサウンドは少なく、新鮮だったんですよ
しかも歌詞は骨太でメッセージがある…ラブソングじゃないしね
ポップなメロディにこの歌詞というのは他に類を見ないものだったんです
10年後の86年に、未発表だった3番の歌詞を収めたバージョンが
12インチ・シングルで、新たなアレンジで出ています(アルバム「J.BOY」にも収録)
なかなか素晴らしい歌詞なんですが、オリジナル・バージョンのあの衝撃とは比較できないなぁ
ビートがタフになっていて、成熟した大人の太い声で歌われた1986バージョンですが、メロディ(というより歌い回し)が改変されているのが気になってしまう
♪今は俺、22…という歌詞がありますが、
やはりこれは22歳の、まだ青くさく、何かにもがいているような浜田省吾が歌っている方が馴染んでしまっているんです
理想と現実に引き裂かれて、少年は大人になっていく・・・
この後に発表された作品群は、この主人公のストーリーの続編といえるかもしれない
オリジナル・シングル・バージョンは、ファースト・アルバムに収録されたアルバム・バージョンとも微妙に違っていたりする…
CD化されていない、レア・アイテムですね
でも4番の歌詞もないし、フェイドアウトしてしまうのが物足りない…痛し痒しだ(笑)
当時ラジオでよくかかっていたのはアルバム・バージョンなんだね
あのエンディングが感動的なんだな♪CDで聞いてください(笑)
オリジナル(レコード音源)のアレンジはハネているんですよ
ここはポイントですね、試験に出るかもしれません(笑)
R&B風味が隠し味なんです
「路地裏の少年」00年代のライブでの弾き語り
この曲のイントロのコード進行は、ジャニス・イアンの「17才の頃」をヒントにしているのは間違いない
これはギターを弾いていて気付きました
歌詞もジャニス・イアンが17歳の頃を歌っているのに対し、浜省は1番で16歳の頃、2番では18歳の頃を歌っている
パクリ?いやいや、まだ可愛いもんですよ
以前もロッド・スチュワートの回で書きましたが、「遠くへ」のメロディは完全にパクリですけどね(笑)
後に浜田省吾のディレクターとなる須藤晃は、歌詞の「いつかはこの国 目を覚ます」を
「いつかは孤独に目を覚ます」と聞き間違えて、凄い作家だと感心したそうだ
マルタツの友人であるマゼンタさんも「仲間と夢描いた」を「仲間と夢が いた」、
「覚えたての『風に吹かれて』(ボブ・ディランの曲)」を「覚えたての風に 吹かれて」と素敵な聞き間違いをしている♪
やはり浜省の表現力に感銘を受けたらしい
マルタツは残念ながら聞き間違いはしなかった…何だか、ちょっと羨ましくなるなぁ♪
「路地裏の少年」もそこそこのセールスに終わって、メロディは良いけど詞がクラいんじゃないか?と言われたんだろうね
次のアルバムではプロの作詞家を起用したり、浜省も歌謡曲の楽曲提供をしたり…
能瀬慶子「アテンション・プリーズ」とか和田アキ子とか、ホリプロのタレントが多い
浜省もホリプロ所属だったからなんだろうな〜
方向性を見失っていた時期と言えます
そうそう、「片想い」という隠れたヒット曲もありましたね〜
この曲、歌詞が女言葉とも取れるのが女性ファンに受けたのかもしれません
これをシングルにしたら売れたと思うんですが…
そしてカップヌードルのCM曲「風を感じて」です
これが浜省、70年代唯一のヒット曲ですね
テレビの歌番組に出演したのは、この時だけかな?
おかげでアルバムも売れて、個人事務所を設立、バンドを従えての全国ツアーへと明るい兆しが…
そして80年代、憧れのアメリカでのレコーディング
アルバム「Home Bound」で、迷いから吹っ切れた浜省の快進撃が始まります
収録曲のタイトルが「終りなき疾走」とか「明日なき世代」とか、ブルース・スプリングスティーンのあの曲みたいなのが気になりますが(笑)
ロックンロールへの回帰、音楽の初期衝動を取り戻した結果ですね
これは当時、浜省ファンのマゼンタさんと、カセットをかけて歌い踊り、喜んだものです♪
その後は多くの名バラードを書き、
広島出身で父親が被爆者である事から
核、戦争、日本を問うプロテスト・ナンバーまでも手掛けています
そんな、日本でも稀有なメジャー・アーティストとなったのが誇らしいですね
ちゃんとした人なんだろうな…ミュージシャンにありがちな、破綻した人ではないですよね(笑)
ライブで鍛え上げられたヴォーカルが頼もしいです♪
タラコくちびるはダテじゃないな(笑)
浜田省吾は心の闇をも描ききっている
「防波堤の上」
この曲は自殺願望の歌なのか?
失意、諦念・・・死を覚悟した男の独白に聞こえて仕方がない
♪風よ 不意に俺の背中 押すがいい 躊躇わないで…
ここまで内省的なシンガー・ソングライターは他にいないだろう
奇しくも、省吾という名前は「吾を省みる」という意味なのだ…!
この資質が浜田省吾の本質なのかもしれないね
今回はリクエストにお応えして、浜省…その前史をズルズルとお送りしました
それでは、また♪
「路地裏の少年」
作詞・作曲 浜田省吾
昭和51年(1976年)
「浜田といえば金吾です」
なんてコピーが昔、ラジオから流れていました
似たような名前を逆手に取った宣伝文句でしたが、浜田金吾本人はどう思っていたのか…
イヤだったんだろうなぁ(笑)
(その後は作曲家として活躍)
そういえば「いつのまにか君は」の浜田良美!いたね〜
浜田良美はあれから長渕剛のコーラスを長い間やっていました
コーラスというより、あれはサイド・ヴォーカルかな
「とんぼ」などレコードでも彼の声が聞けます
(長渕剛の多重録音ではないんです)
浜田省吾は吉田拓郎(当時は よしだたくろう)のバック・バンドをつとめていた愛奴(あいど)でデビュー
「二人の夏」(浜田省吾作詞作曲)は忘れられない曲だなぁ
ビーチ・ボーイズの焼き直しですが、お気に入りでしたね
同い年で、同じ年にシュガーベイブでデビューした山下達郎も、後にカバーしています
愛奴では浜田省吾はドラマーだったんです
吉田拓郎は当時から「あいつのドラムは酷い!」とラジオでけなしていましたね
だから、よく聞きもしないで「下手なんだ〜」と思い込んでいました(笑)
浜省、ゴメン
拓郎は愛奴では青山徹のギター・プレイがお気に入りだったみたいですね
拓郎のシングル「おきざりにした悲しみは」でも青山徹のギターが大々的にフィーチャーされています
「二人の夏」はお世辞にもヒットしたとは言えず、愛奴はサウンド志向に方向転換…
作曲では貢献していたものの、演奏力のない(失礼)浜田省吾は脱退する事に…
そして、浜田省吾は「路地裏の少年」でソロ・デビューする事となります
このイントロには心を奪われたな〜!
まさしく颯爽とデビューした♪という印象です
なかなか当時はこんなポップなサウンドは少なく、新鮮だったんですよ
しかも歌詞は骨太でメッセージがある…ラブソングじゃないしね
ポップなメロディにこの歌詞というのは他に類を見ないものだったんです
10年後の86年に、未発表だった3番の歌詞を収めたバージョンが
12インチ・シングルで、新たなアレンジで出ています(アルバム「J.BOY」にも収録)
なかなか素晴らしい歌詞なんですが、オリジナル・バージョンのあの衝撃とは比較できないなぁ
ビートがタフになっていて、成熟した大人の太い声で歌われた1986バージョンですが、メロディ(というより歌い回し)が改変されているのが気になってしまう
♪今は俺、22…という歌詞がありますが、
やはりこれは22歳の、まだ青くさく、何かにもがいているような浜田省吾が歌っている方が馴染んでしまっているんです
理想と現実に引き裂かれて、少年は大人になっていく・・・
この後に発表された作品群は、この主人公のストーリーの続編といえるかもしれない
オリジナル・シングル・バージョンは、ファースト・アルバムに収録されたアルバム・バージョンとも微妙に違っていたりする…
CD化されていない、レア・アイテムですね
でも4番の歌詞もないし、フェイドアウトしてしまうのが物足りない…痛し痒しだ(笑)
当時ラジオでよくかかっていたのはアルバム・バージョンなんだね
あのエンディングが感動的なんだな♪CDで聞いてください(笑)
オリジナル(レコード音源)のアレンジはハネているんですよ
ここはポイントですね、試験に出るかもしれません(笑)
R&B風味が隠し味なんです
「路地裏の少年」00年代のライブでの弾き語り
この曲のイントロのコード進行は、ジャニス・イアンの「17才の頃」をヒントにしているのは間違いない
これはギターを弾いていて気付きました
歌詞もジャニス・イアンが17歳の頃を歌っているのに対し、浜省は1番で16歳の頃、2番では18歳の頃を歌っている
パクリ?いやいや、まだ可愛いもんですよ
以前もロッド・スチュワートの回で書きましたが、「遠くへ」のメロディは完全にパクリですけどね(笑)
後に浜田省吾のディレクターとなる須藤晃は、歌詞の「いつかはこの国 目を覚ます」を
「いつかは孤独に目を覚ます」と聞き間違えて、凄い作家だと感心したそうだ
マルタツの友人であるマゼンタさんも「仲間と夢描いた」を「仲間と夢が いた」、
「覚えたての『風に吹かれて』(ボブ・ディランの曲)」を「覚えたての風に 吹かれて」と素敵な聞き間違いをしている♪
やはり浜省の表現力に感銘を受けたらしい
マルタツは残念ながら聞き間違いはしなかった…何だか、ちょっと羨ましくなるなぁ♪
「路地裏の少年」もそこそこのセールスに終わって、メロディは良いけど詞がクラいんじゃないか?と言われたんだろうね
次のアルバムではプロの作詞家を起用したり、浜省も歌謡曲の楽曲提供をしたり…
能瀬慶子「アテンション・プリーズ」とか和田アキ子とか、ホリプロのタレントが多い
浜省もホリプロ所属だったからなんだろうな〜
方向性を見失っていた時期と言えます
そうそう、「片想い」という隠れたヒット曲もありましたね〜
この曲、歌詞が女言葉とも取れるのが女性ファンに受けたのかもしれません
これをシングルにしたら売れたと思うんですが…
そしてカップヌードルのCM曲「風を感じて」です
これが浜省、70年代唯一のヒット曲ですね
テレビの歌番組に出演したのは、この時だけかな?
おかげでアルバムも売れて、個人事務所を設立、バンドを従えての全国ツアーへと明るい兆しが…
そして80年代、憧れのアメリカでのレコーディング
アルバム「Home Bound」で、迷いから吹っ切れた浜省の快進撃が始まります
収録曲のタイトルが「終りなき疾走」とか「明日なき世代」とか、ブルース・スプリングスティーンのあの曲みたいなのが気になりますが(笑)
ロックンロールへの回帰、音楽の初期衝動を取り戻した結果ですね
これは当時、浜省ファンのマゼンタさんと、カセットをかけて歌い踊り、喜んだものです♪
その後は多くの名バラードを書き、
広島出身で父親が被爆者である事から
核、戦争、日本を問うプロテスト・ナンバーまでも手掛けています
そんな、日本でも稀有なメジャー・アーティストとなったのが誇らしいですね
ちゃんとした人なんだろうな…ミュージシャンにありがちな、破綻した人ではないですよね(笑)
ライブで鍛え上げられたヴォーカルが頼もしいです♪
タラコくちびるはダテじゃないな(笑)
浜田省吾は心の闇をも描ききっている
「防波堤の上」
この曲は自殺願望の歌なのか?
失意、諦念・・・死を覚悟した男の独白に聞こえて仕方がない
♪風よ 不意に俺の背中 押すがいい 躊躇わないで…
ここまで内省的なシンガー・ソングライターは他にいないだろう
奇しくも、省吾という名前は「吾を省みる」という意味なのだ…!
この資質が浜田省吾の本質なのかもしれないね
今回はリクエストにお応えして、浜省…その前史をズルズルとお送りしました
それでは、また♪
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Comments
浜省といえば、やっぱりオールド・ファンのマゼンタさんにコメントしてもらわないとね
70年代は「フォークの人」と捉えられていた浜省が、80年代に「ロックの人」としてブレイクできたのは、
過去にヒット曲がなかったからかもしれないですね
「片想い」をシングルにしなかったのは、この路線じゃぁないんだよな〜というのがあったんでしょうね
あの曲、女性シンガーに提供するつもりで作曲したのかな?と勘ぐっています(笑)
浜省、黎明期のレンタル・レコード屋でダントツの人気でしたね
レコードは大して売れてないのに(笑)
でも結果的にアルバム・アーティストとして認知される事になるんだから、何が幸いするかわからないもんです
カラオケなら、浜省ナンバー限定の「浜省ナイト」なんてどうですか♪