虹と雪のバラード
トワ・エ・モワ
「虹と雪のバラード」
作詞 河邨文一郎
作曲 村井邦彦
1971年(昭和46年)
イヤ〜ソチ五輪、盛り上がっていますな〜
マルタツは殆どスポーツ観戦しないんですが、さすがに目に耳にしますからね〜
でも冬季オリンピックというと、どうしても1972年の札幌オリンピックを思い出してしまうんです
まあ札幌で生まれ育ったオヤジですから…そこは許してほしいな〜
テーマソングだったこの曲、大好きですね〜
「みんなのうた」バージョン
そう、NHK「みんなのうた」でも流れていましたね
レコードとはアレンジが(アレンジャーも)違うんです
歌もトワ・エ・モワだけじゃなくて、各社競作だったんですよ
ジャッキー吉川とブルー・コメッツも歌っているんだ…YouTubeにもあるけど、さすがにこれは違うだろう?と思うな(笑)
レコード・バージョン
札幌オリンピックの時は小学5年生ですね…真駒内に住んでいたんです
最近外人をよく見かけるな〜なんて思っていたら、あれは選手だったんですね
バッジの交換が流行っていて、外人選手(誰だかわからないが 笑)とバッジ交換したりしました
必ず「ヨーコソってなんだ?」と聞かれるんです
街中にYOKOSO SAPPOROのステッカーが氾濫していましたからね〜
もちろん、拙い英語で一生懸命解説しましたよ
マルタツの通った中学は通称「五輪中学」と呼ばれてました
オリンピックの運営本部だった建物を学校に再利用したんですね
校章も五輪マーク…これはハズカシイよ(笑)
校歌もオリンピック関連の歌詞だし…しかも混声四部合唱なんですよ…4人揃わないと歌えない…なかなかマニアックだろう?(笑)
作詞の河邨文一郎さんは札幌医大の医師で、詩人としても活躍した人…
やっぱりこれはね〜札幌在住の人じゃないと書けない歌詞なんだよなぁ
生まれ変わる札幌…って歌詞があるけど、確かにオリンピックで街が変わったんですよね
地下鉄(地下街も)の開通もオリンピックがらみでした
選手のために?真駒内にケンタッキー・フライドチキンが出来たのもそうですね
札幌市民ならこの曲は知っていてほしい…若い人には知らない奴がいるんだよ!許せないなぁ(笑)
作曲の村井邦彦…いい曲を書くね〜
「翼をください」の人だ
初めて買ったレコード…ガロの「美しすぎて」(B面が学生街の喫茶店)は今でも歌ったりする…あの頃のレコードって譜面が付いてたりするんだ…コードもね
荒井由実(ユーミン)のプロデュース、アルファ・レコードの設立といい仕事してます
トワ・エ・モワも「ある日突然」「空よ」「誰もいない海」…良かったね
この二人で結婚すればね〜解散しなかったんだろうにね〜
同じ男女デュオのチェリッシュが台頭してきたのもあったのかな
札幌オリンピックといえば日の丸飛行隊ですね
70m級ジャンプで日本人選手が金・銀・銅…あれは感動しました!
おかげでジャンプごっこが流行りましたから!
あと氷上の妖精ジャネット・リンですね
アメリカ人なのに日本人選手よりも人気がありましたね
転んでも笑顔…さすがです
銅メダルでしたが、金・銀の選手は誰も覚えていません(笑)
CMにも出てましたね
東京、札幌、長野、そしてまた東京と、日本で4回のオリンピックを体験できる世代なんだから、もっとしっかり見ないとダメかな?非国民?
そういえば北野ファンクラブだったと思うけど、ビートたけしはオリンピックのテレビ中継は欠かさずに見ているらしい
ネタ探しのためにね…さすがコマネチ!の人だね
最後は地元札幌の昭和歌謡トリビュート・バンド、シラタキの演奏をお聞きください♪
シラタキ・ライブ・バージョン
「虹と雪のバラード」
作詞 河邨文一郎
作曲 村井邦彦
1971年(昭和46年)
イヤ〜ソチ五輪、盛り上がっていますな〜
マルタツは殆どスポーツ観戦しないんですが、さすがに目に耳にしますからね〜
でも冬季オリンピックというと、どうしても1972年の札幌オリンピックを思い出してしまうんです
まあ札幌で生まれ育ったオヤジですから…そこは許してほしいな〜
テーマソングだったこの曲、大好きですね〜
「みんなのうた」バージョン
そう、NHK「みんなのうた」でも流れていましたね
レコードとはアレンジが(アレンジャーも)違うんです
歌もトワ・エ・モワだけじゃなくて、各社競作だったんですよ
ジャッキー吉川とブルー・コメッツも歌っているんだ…YouTubeにもあるけど、さすがにこれは違うだろう?と思うな(笑)
レコード・バージョン
札幌オリンピックの時は小学5年生ですね…真駒内に住んでいたんです
最近外人をよく見かけるな〜なんて思っていたら、あれは選手だったんですね
バッジの交換が流行っていて、外人選手(誰だかわからないが 笑)とバッジ交換したりしました
必ず「ヨーコソってなんだ?」と聞かれるんです
街中にYOKOSO SAPPOROのステッカーが氾濫していましたからね〜
もちろん、拙い英語で一生懸命解説しましたよ
マルタツの通った中学は通称「五輪中学」と呼ばれてました
オリンピックの運営本部だった建物を学校に再利用したんですね
校章も五輪マーク…これはハズカシイよ(笑)
校歌もオリンピック関連の歌詞だし…しかも混声四部合唱なんですよ…4人揃わないと歌えない…なかなかマニアックだろう?(笑)
作詞の河邨文一郎さんは札幌医大の医師で、詩人としても活躍した人…
やっぱりこれはね〜札幌在住の人じゃないと書けない歌詞なんだよなぁ
生まれ変わる札幌…って歌詞があるけど、確かにオリンピックで街が変わったんですよね
地下鉄(地下街も)の開通もオリンピックがらみでした
選手のために?真駒内にケンタッキー・フライドチキンが出来たのもそうですね
札幌市民ならこの曲は知っていてほしい…若い人には知らない奴がいるんだよ!許せないなぁ(笑)
作曲の村井邦彦…いい曲を書くね〜
「翼をください」の人だ
初めて買ったレコード…ガロの「美しすぎて」(B面が学生街の喫茶店)は今でも歌ったりする…あの頃のレコードって譜面が付いてたりするんだ…コードもね
荒井由実(ユーミン)のプロデュース、アルファ・レコードの設立といい仕事してます
トワ・エ・モワも「ある日突然」「空よ」「誰もいない海」…良かったね
この二人で結婚すればね〜解散しなかったんだろうにね〜
同じ男女デュオのチェリッシュが台頭してきたのもあったのかな
札幌オリンピックといえば日の丸飛行隊ですね
70m級ジャンプで日本人選手が金・銀・銅…あれは感動しました!
おかげでジャンプごっこが流行りましたから!
あと氷上の妖精ジャネット・リンですね
アメリカ人なのに日本人選手よりも人気がありましたね
転んでも笑顔…さすがです
銅メダルでしたが、金・銀の選手は誰も覚えていません(笑)
CMにも出てましたね
東京、札幌、長野、そしてまた東京と、日本で4回のオリンピックを体験できる世代なんだから、もっとしっかり見ないとダメかな?非国民?
そういえば北野ファンクラブだったと思うけど、ビートたけしはオリンピックのテレビ中継は欠かさずに見ているらしい
ネタ探しのためにね…さすがコマネチ!の人だね
最後は地元札幌の昭和歌謡トリビュート・バンド、シラタキの演奏をお聞きください♪
シラタキ・ライブ・バージョン
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Comments
http://m.youtube.com/watch?v=LjGG2nJE3tU
バッジ交換の話は、なかなか分かってもらえないんじゃないか?と思ってたから嬉しいな♪
狸小路の歌は先代も捨てがたいんだ…モリ先生も覚えていないかな?
(このコメントのマルタツの名前にリンクを貼ります)
野坂昭如作詞、いずみたく作曲、歌は朝丘雪路、ボニージャックスです♪
この曲は大人になってからCDで買い直しました。まさに札幌を代表する曲ですね、「好きですサッポロ」ってのもあるかぁ。あっ、「恋の町札幌」もあった。子供の頃から耳慣れている狸小路のテーマ曲「ポンポコサンバ」もそうですね、これって小林亜星作曲でしたよね。
ケンタッキーフライドチキンの話、外国の文化が入って来たという感じでした。当時、選手村と住宅地との境界線で金網が張ってあったという話も聞きましたが本当でしょうか?
バッジ交換もありましたね。私もスキー帽にバッジたくさん付けていました。
あの時、開会式を行った屋外アイスアリーナに家族で入った記憶があります。誰もいないピッカピカのリンクで転んだりしていたらヨーロッパの方のプレス関係の人が一人近付いてきて、バッジ交換して記念写真を撮りました。
でも、どうしてオリンピック直前の競技施設に普通の家族連れがスンナリ入れたのか、それは永遠のナゾです。
いいじゃないですか〜オリンピックは参加する事に意義があるんです
ジャンプの滑走で掛かるオンヤマー!(On Your Mark 位置について)の声が妙に好きだったな〜←変なヤツ(笑)
ブラザー・テツさん、
そういえばオリンピックの前年、学校でプレ・オリンピックを見に行ったりしたね
うちのクラスはホッケーだったけど、予備知識もないし、解説もないからサッパリわからないんだ…先生も困ってたな(笑)
学校の授業でもスキーにスケート(リンクが近いから?)よくやってたな〜と思うよ
オレは1コ下なので、兄貴と同じ感覚で札幌の変化を感じていたと思う。
本当に劇的に変わったよねえ。
特に地下鉄ができたことで、行動範囲がもの凄く広がったと思う。
ところで、オリンピック開催中、「オリンピック休み」とかいって、小学校が休みになったよね。
家でオリンピックを応援しましょうなーんて、今考えたら変な理由で。
若い連中に話しても、誰も信じてくれないよ(笑)
ちなみにオレは、テレビでオリンピックは観ず、毎日円山にスケートしに行ってました(笑)
http://blog.livedoor.jp/safs01murahiro-higeko/
札幌オリンピックの時は幼稚園児で室蘭で聖火ランナーに一生懸命旗をふっていましたよ。
何故か中学生の頃、旭川の中学の合唱コンクールで「虹と雪のバラード」札幌の唄を歌い優勝しました。
非国民、いいね〜
そうそう、音楽の時間に合唱したな〜
てっきり北海道ローカルの取り組みだと思ってた
「トワ・エ・モワってフランス語で、あなたと私って意味なんだって」テレビにトワ・エ・モワが映ると、毎回母親が言っていました…
ジャンプごっこは危ないんだよ
ミニスキーで坂道を下って、ホントに飛ぶんだから
自分で自分の実況しながら…
バカですね〜
マゼンタさん、
全日本歌謡選手権!
五木ひろし、八代亜紀の10週勝ち抜き見てました
かぐや姫が「酔いどれかぐや姫」を歌っていたのが印象的でした…あれはゲスト出演だったのかな
審査員は、五木ひろしのデビュー曲を書いた平尾昌晃と山口洋子の二人が出ていたのは覚えているんですが…
ソチ五輪はマゼンタさんのブログネタにいいんじゃないかなぁ
五輪の印象はほぼ同じだ
夜中まで起きて観るっていうほどでないし・・・同じ非国民(笑)
トワ・エ・モワってどういう意味なんだろ?・・・
当時小五のオレは東京で、何故か音楽の時間にこの曲を歌わされてた
で、テレビでは大通とジャンプ台が映されて
この曲が流れてたのを思い出したよ
だから、この曲を聴くと自然と札幌を連想してたなぁ
ジャンプごっこ・・・ズボンをパタパタさせて?
着地のポーズで少し身体をヨタラせて?
オレもやってた気がします(笑)