モスクワ郊外の夕べ
「モスクワ郊外の夕べ」
1955年作 ロシア歌曲
唐突ですが、ロシア民謡です(笑)
民謡というと古来から伝承されたものというイメージがありますが、ロシア民謡には日本でいう歌謡曲、流行歌も含まれているんです
この「モスクワ郊外の夕べ」も第二次世界大戦後の1955年作と、民謡のイメージとはかけ離れた、割りと近年の歌曲
民謡という括りにされてしまったのは作者が不詳の曲が多いからかもしれない
しかし多くの曲は作者が判明している…近年作が多いですからね
作者名が伏せられていたのは、作品は作者のものではなく国家のものだという考えによるものらしい…さすが社会主義!
「モスクワ郊外の夕べ」はケニー・ボールが「Midnight in Moscow」のタイトルで、ジャズにアレンジ…60年代に世界的なヒットになっている
日本でもフランク永井が歌っていたりするんだけど、ジャズ・バージョンの邦題は何故か「モスコーの夜は更けて」
そうなんです…「ワシントン広場の夜は更けて」というヒット曲がありましたからね〜とにかく何でもかんでも「夜は更けて」
勝手にシリーズにしちゃったみたいです(笑)
モスコーという響きにもそそられますね
でもジャズ・バージョンはちょっと場末感があるんだ(笑)だから今回は、正調ロシア民謡バージョンで聞いて下さい♪
モスクワ郊外の夕べ
イヤ〜ロシア民謡、暗い、重い…存在感あるね〜
巷はゴールデン・ウィーク…といえどもゴールデンではない人々がいる
虐げられたプロレタリアートたちよ、今こそ立ち上がれ…って事か?(笑)
まあ、ロシア民謡といっても「トロイカ」や「カチューシャ」ほどは知られていない曲ですね
これは中学時代に聞いて、お気に入りになりました♪
どこまでも暗い…底なしに暗いコーラスと、部分転調で一瞬メジャーになるのがツボでした
家に、ビクターから出ていた「ロシア民謡全集」があったんですね
ソノシート4枚組で全4巻だったと思います
ハードカバーで書籍みたいでしたね
高級感を醸し出しているんだけど、中身は安っぽいソノシート(笑)
まあ当時はよく雑誌にオマケとしてソノシートが付いていたもんね〜そのデラックス版という位置付けなのかもしれません
他にも家にはソノシート付き月刊誌があったんです
「映画の友」とか「映画音楽」というタイトルだったかな
映画音楽だけではなくて、当時日本に入ってきていた洋楽…ポピュラー音楽もカバーしていたと思います
歌モノもインストで…インストもオリジナル・バージョンじゃなかったね…たぶん日本人が演奏していたんだと思われます…「歌のない歌謡曲」みたいな…
親父が昔、買ってきたんだろうな…
ペラペラのソノシート…もう若い人にはナンノコッチャ?わからないのかもしれないね
レコードの代用品、廉価版ですね
レコードとは違ってB面がない…それでも片面に2曲くらい収録できたりする利点もある
ソノシートというと幼少期の記憶があるな〜
よく一人、ポータブル・プレイヤーでソノシートをかけていた…あれ、ソノシートがクルクル回るから、オモチャとして面白かったんだろうね…音も出るし、不思議だったんだと思う
ソノシートの色もたくさんあって楽しいんだ…赤、青、黄色、オレンジ、黒、緑…
でも何故か白いソノシートが怖くてね〜(笑)
気味が悪くて触れなかった記憶があるよ
中学時代、家のステレオはマルタツの部屋で独占状態♪だったんです
ビクターの家具調ステレオで、78回転(SP盤ですな)レコードも再生できるシロモノ…
おまけにレコード・プレイヤーが平らじゃない…傾いているんだよ!傾斜が付いている仕様なんだ…マニアックだよな〜(笑)
当然、ビクター犬(ニッパー君)の置物も家にあったはずだが…
噂によると幼児だったマルタツが壊したらしい(笑)いけませんな〜まあ、そんなレトロなステレオで、おっ?ロシア民謡か〜聞いてみるかな…と思った訳です
ロシア民謡のソノシートなんて言うと、マルタツの親父はかなりマニアックな趣味だと思われるかもしれません
ところが当時はそうでもなかったみたいなんです
その昔、歌声喫茶というものがあったと聞くじゃないですか…ロシア民謡はかなり歌われていたみたいなんです
まあ、歌声喫茶では日本語で歌っていたらしいんですが、現在よりもロシア民謡は親しまれていたというのは間違いないようです
親父は歌声喫茶に通っていたのか?そんな噂は聞かないが(笑)
今となっては確かめるすべもない…
親父が亡くなって早くも3年…
4月28日は親父の命日でした…そうなんです、予定していたブログの更新が遅れてしまったんです(笑)
親父、墓参りも行けないで、ブログも遅れてしまった…許してくれ!
当たり前の事だけど、人生には限りがあるんだと思い知らされますね
それでも残された者の心の中で生き続ける…それはお互いに幸せな事なんじゃないかと思いたい…
親父と音楽の話もしたかったな〜
マルタツも40歳を過ぎてからかな〜やっと親父に戦争の頃の話をふったりできるようになったんだけどね…嬉しそうに話してくれたな〜
パーシー・スレッジの「男が女を愛する時」とかレイ・チャールズ「愛さずにいられない」のシングル盤もあったんだ…これで、お袋を口説いた?イヤ、年代が…マルタツが生まれてからの音楽だし…謎だな(笑)
そうかと思えば「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を知っていたりする…映画「暴力教室」を観たって言ってたもんな〜
あとマルタツがアルバム「バンド・オン・ザ・ラン」を爆音で♪かけていたら、部屋に入ってきて…
うるさいと注意されるかと思ったら、「そのホッ!ヘィホッ!って曲がいいから、もっと大音量で♪かけてくれ」なんて言うんだよ(笑)
(ミセス・ヴァンデビルトという曲です♪与作じゃないぜ 笑)
厳格な親父でしたが、そんなファンキーな面もありましたね♪
Mrs Vandebilt
1955年作 ロシア歌曲
唐突ですが、ロシア民謡です(笑)
民謡というと古来から伝承されたものというイメージがありますが、ロシア民謡には日本でいう歌謡曲、流行歌も含まれているんです
この「モスクワ郊外の夕べ」も第二次世界大戦後の1955年作と、民謡のイメージとはかけ離れた、割りと近年の歌曲
民謡という括りにされてしまったのは作者が不詳の曲が多いからかもしれない
しかし多くの曲は作者が判明している…近年作が多いですからね
作者名が伏せられていたのは、作品は作者のものではなく国家のものだという考えによるものらしい…さすが社会主義!
「モスクワ郊外の夕べ」はケニー・ボールが「Midnight in Moscow」のタイトルで、ジャズにアレンジ…60年代に世界的なヒットになっている
日本でもフランク永井が歌っていたりするんだけど、ジャズ・バージョンの邦題は何故か「モスコーの夜は更けて」
そうなんです…「ワシントン広場の夜は更けて」というヒット曲がありましたからね〜とにかく何でもかんでも「夜は更けて」
勝手にシリーズにしちゃったみたいです(笑)
モスコーという響きにもそそられますね
でもジャズ・バージョンはちょっと場末感があるんだ(笑)だから今回は、正調ロシア民謡バージョンで聞いて下さい♪
モスクワ郊外の夕べ
イヤ〜ロシア民謡、暗い、重い…存在感あるね〜
巷はゴールデン・ウィーク…といえどもゴールデンではない人々がいる
虐げられたプロレタリアートたちよ、今こそ立ち上がれ…って事か?(笑)
まあ、ロシア民謡といっても「トロイカ」や「カチューシャ」ほどは知られていない曲ですね
これは中学時代に聞いて、お気に入りになりました♪
どこまでも暗い…底なしに暗いコーラスと、部分転調で一瞬メジャーになるのがツボでした
家に、ビクターから出ていた「ロシア民謡全集」があったんですね
ソノシート4枚組で全4巻だったと思います
ハードカバーで書籍みたいでしたね
高級感を醸し出しているんだけど、中身は安っぽいソノシート(笑)
まあ当時はよく雑誌にオマケとしてソノシートが付いていたもんね〜そのデラックス版という位置付けなのかもしれません
他にも家にはソノシート付き月刊誌があったんです
「映画の友」とか「映画音楽」というタイトルだったかな
映画音楽だけではなくて、当時日本に入ってきていた洋楽…ポピュラー音楽もカバーしていたと思います
歌モノもインストで…インストもオリジナル・バージョンじゃなかったね…たぶん日本人が演奏していたんだと思われます…「歌のない歌謡曲」みたいな…
親父が昔、買ってきたんだろうな…
ペラペラのソノシート…もう若い人にはナンノコッチャ?わからないのかもしれないね
レコードの代用品、廉価版ですね
レコードとは違ってB面がない…それでも片面に2曲くらい収録できたりする利点もある
ソノシートというと幼少期の記憶があるな〜
よく一人、ポータブル・プレイヤーでソノシートをかけていた…あれ、ソノシートがクルクル回るから、オモチャとして面白かったんだろうね…音も出るし、不思議だったんだと思う
ソノシートの色もたくさんあって楽しいんだ…赤、青、黄色、オレンジ、黒、緑…
でも何故か白いソノシートが怖くてね〜(笑)
気味が悪くて触れなかった記憶があるよ
中学時代、家のステレオはマルタツの部屋で独占状態♪だったんです
ビクターの家具調ステレオで、78回転(SP盤ですな)レコードも再生できるシロモノ…
おまけにレコード・プレイヤーが平らじゃない…傾いているんだよ!傾斜が付いている仕様なんだ…マニアックだよな〜(笑)
当然、ビクター犬(ニッパー君)の置物も家にあったはずだが…
噂によると幼児だったマルタツが壊したらしい(笑)いけませんな〜まあ、そんなレトロなステレオで、おっ?ロシア民謡か〜聞いてみるかな…と思った訳です
ロシア民謡のソノシートなんて言うと、マルタツの親父はかなりマニアックな趣味だと思われるかもしれません
ところが当時はそうでもなかったみたいなんです
その昔、歌声喫茶というものがあったと聞くじゃないですか…ロシア民謡はかなり歌われていたみたいなんです
まあ、歌声喫茶では日本語で歌っていたらしいんですが、現在よりもロシア民謡は親しまれていたというのは間違いないようです
親父は歌声喫茶に通っていたのか?そんな噂は聞かないが(笑)
今となっては確かめるすべもない…
親父が亡くなって早くも3年…
4月28日は親父の命日でした…そうなんです、予定していたブログの更新が遅れてしまったんです(笑)
親父、墓参りも行けないで、ブログも遅れてしまった…許してくれ!
当たり前の事だけど、人生には限りがあるんだと思い知らされますね
それでも残された者の心の中で生き続ける…それはお互いに幸せな事なんじゃないかと思いたい…
親父と音楽の話もしたかったな〜
マルタツも40歳を過ぎてからかな〜やっと親父に戦争の頃の話をふったりできるようになったんだけどね…嬉しそうに話してくれたな〜
パーシー・スレッジの「男が女を愛する時」とかレイ・チャールズ「愛さずにいられない」のシングル盤もあったんだ…これで、お袋を口説いた?イヤ、年代が…マルタツが生まれてからの音楽だし…謎だな(笑)
そうかと思えば「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を知っていたりする…映画「暴力教室」を観たって言ってたもんな〜
あとマルタツがアルバム「バンド・オン・ザ・ラン」を爆音で♪かけていたら、部屋に入ってきて…
うるさいと注意されるかと思ったら、「そのホッ!ヘィホッ!って曲がいいから、もっと大音量で♪かけてくれ」なんて言うんだよ(笑)
(ミセス・ヴァンデビルトという曲です♪与作じゃないぜ 笑)
厳格な親父でしたが、そんなファンキーな面もありましたね♪
Mrs Vandebilt
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