砂に消えた涙
Mina
Un Buco Nella Sabbia
1964
真夜中の不定期更新、マルタツのリッスン・トゥ・ザ・ミュージックです♪
イヤ〜暑いね!
夏だな〜ビールがうまい♪
実は…バテバテなんですが(笑)
こう暑いと仕事したくないね♪あ、ブログは地味〜に更新しますからね(笑)
節電よりも冷房が大事です(笑)
さて、今回は夏のポップス・クラシックともいえる曲です
「砂に消えた涙」…本家本元はミーナ・マッツィーニのイタリア語バージョンですが、日本語バージョンが有名ですよね
(何故かミーナのレコードだけは「砂にきえた涙」と平仮名になっている)
やはりこの曲は日本語の訳詞が馴染んでいるんです
リアルタイムでは弘田三枝子、伊東ゆかり、ザ・ピーナッツとの競作
その後も麻丘めぐみ、竹内まりやなど多くのカバー…
ライブでは、なんと矢沢永吉も!
桑田佳祐が好きなのはわかるんですけどね…「鎌倉物語」のイントロがモロだし、「可愛いミーナ」って曲もあるし
みんな、この曲が好きなんだな〜♪
これはやっぱり日本語の歌詞が付いているのが大きいんですね
原語で歌われた「洋楽」とはまた別の世界…
「和製ポップス」は明らかに日本語カバーから始まった…という事ですね
原曲はイタリアン・ポップスですが、確かにイタリア語で歌われても…さっぱり訳わかりません(笑)
フレンチがあればイタリアンもある…料理みたいですが(笑)
イタリアのポップス…ボビー・ソロ「ほほにかかる涙」もそうでした
家にレコードがあったんです…これはヒットしましたね
トム・ジョーンズの「ラブ・ミー・トゥナイト」も原曲はカンツォーネだし、イタリア勢は侮れません…カリメロ〜♪
♪私は砂の中にありったけの涙、あなたの嘘を埋めた…あなたは私が泣きに来たと思っているけど、あなたの元へは二度と戻らない…月が出たら私はもう忘れているはず…きっと違う誰かを好きになっているはず…
原曲は日本語詞とは微妙にニュアンスが違っているんですね
失恋ソングだけど、悲しすぎない…絶妙な匙加減は、原曲からも伺えます
ミーナといえば「月影のナポリ」もありましたが、森山加代子の日本語カバーに力負け?してしまいます…やはり日本語のインパクトは大ですね
「砂に消えた涙」本国では、シングルとしては余りヒットしていない(収録アルバムは大ヒットしている)
それを本家にも日本語で歌わせた…日本のレコード会社、やるね〜♪
ビートルズだって、ドイツ語で歌わされた時代ですもんね
「砂に消えた涙」ミーナ(日本語バージョン)
訳詞は漣健児(さざなみけんじ)
坂本九「ステキなタイミング」、飯田久彦「ルイジアナ・ママ」、中尾ミエ「可愛いベイビー」、弘田三枝子「バケーション」も漣健児が手掛けている
この人の訳詞は意訳というより、超訳!
デタラメというか言葉遊び?…作詞を勉強した人じゃないですからね
ポップスなんだから乗りと勢いがあればいい♪
この感覚は、大滝詠一が自分で書いていた歌詞と近いかも?
「砂に消えた涙」が一番マトモな歌詞かもしれない…曲調に合わせたのかな?
漣健児というのはペンネームで、本名は草野昌一
新興音楽出版(シンコー・ミュージック)の創業者の息子=二代目で、訳詞をしていた頃は専務をつとめていた(のちに社長→会長に)
音楽誌「ミュージック・ライフ」の初代編集長でもある
そんな人がなぜ訳詞を?
つまり音楽出版会社だから、外国の曲の版権を持っていた
でも曲が売れない事にはビジネスにならない
そこで考えついたのが、日本語で日本の歌手に歌わせてヒットさせる…という事だったのだ
じゃあ俺が詞を書くよ♪という調子で、どんどん書いていったらしい
当時はテレビも創成期であり、若い歌手の活躍の場になったのも効を奏した(ベテランの歌手は、客にタダで歌を聞かせるのを嫌がって、出演を渋っていた)
オマケに草野昌一の弟(草野浩二)は東芝EMIのディレクターだったので、
ワガママを言い合いながらも、楽しくレコーディングをしていたそうだ…草野兄弟、いいな♪
外国でヒットしたからといって、日本でもヒットするとは限らない
その逆も然り…
草野昌一は「日本で売れそうな曲」を優先的に契約…日本での版権を買い漁っていた
日本の版権ビジネスの第一人者ですね
湯川れい子は「ミュージック・ライフ」と専属契約で、やがて訳詞も手掛けるようになる
安井かずみ、岩谷時子も訳詞からスタートして、和製ポップスの作詞家になっている
和製ポップスの歌詞は、訳詞感覚で作詞されている…といえますね
楽器をやる人は、シンコー・ミュージックの楽譜にはお世話になったのではないでしょうか?
音楽ファンは「ミュージック・ライフ」もね♪
それでは、また♪
Un Buco Nella Sabbia
1964
真夜中の不定期更新、マルタツのリッスン・トゥ・ザ・ミュージックです♪
イヤ〜暑いね!
夏だな〜ビールがうまい♪
実は…バテバテなんですが(笑)
こう暑いと仕事したくないね♪あ、ブログは地味〜に更新しますからね(笑)
節電よりも冷房が大事です(笑)
さて、今回は夏のポップス・クラシックともいえる曲です
「砂に消えた涙」…本家本元はミーナ・マッツィーニのイタリア語バージョンですが、日本語バージョンが有名ですよね
(何故かミーナのレコードだけは「砂にきえた涙」と平仮名になっている)
やはりこの曲は日本語の訳詞が馴染んでいるんです
リアルタイムでは弘田三枝子、伊東ゆかり、ザ・ピーナッツとの競作
その後も麻丘めぐみ、竹内まりやなど多くのカバー…
ライブでは、なんと矢沢永吉も!
桑田佳祐が好きなのはわかるんですけどね…「鎌倉物語」のイントロがモロだし、「可愛いミーナ」って曲もあるし
みんな、この曲が好きなんだな〜♪
これはやっぱり日本語の歌詞が付いているのが大きいんですね
原語で歌われた「洋楽」とはまた別の世界…
「和製ポップス」は明らかに日本語カバーから始まった…という事ですね
原曲はイタリアン・ポップスですが、確かにイタリア語で歌われても…さっぱり訳わかりません(笑)
フレンチがあればイタリアンもある…料理みたいですが(笑)
イタリアのポップス…ボビー・ソロ「ほほにかかる涙」もそうでした
家にレコードがあったんです…これはヒットしましたね
トム・ジョーンズの「ラブ・ミー・トゥナイト」も原曲はカンツォーネだし、イタリア勢は侮れません…カリメロ〜♪
♪私は砂の中にありったけの涙、あなたの嘘を埋めた…あなたは私が泣きに来たと思っているけど、あなたの元へは二度と戻らない…月が出たら私はもう忘れているはず…きっと違う誰かを好きになっているはず…
原曲は日本語詞とは微妙にニュアンスが違っているんですね
失恋ソングだけど、悲しすぎない…絶妙な匙加減は、原曲からも伺えます
ミーナといえば「月影のナポリ」もありましたが、森山加代子の日本語カバーに力負け?してしまいます…やはり日本語のインパクトは大ですね
「砂に消えた涙」本国では、シングルとしては余りヒットしていない(収録アルバムは大ヒットしている)
それを本家にも日本語で歌わせた…日本のレコード会社、やるね〜♪
ビートルズだって、ドイツ語で歌わされた時代ですもんね
「砂に消えた涙」ミーナ(日本語バージョン)
訳詞は漣健児(さざなみけんじ)
坂本九「ステキなタイミング」、飯田久彦「ルイジアナ・ママ」、中尾ミエ「可愛いベイビー」、弘田三枝子「バケーション」も漣健児が手掛けている
この人の訳詞は意訳というより、超訳!
デタラメというか言葉遊び?…作詞を勉強した人じゃないですからね
ポップスなんだから乗りと勢いがあればいい♪
この感覚は、大滝詠一が自分で書いていた歌詞と近いかも?
「砂に消えた涙」が一番マトモな歌詞かもしれない…曲調に合わせたのかな?
漣健児というのはペンネームで、本名は草野昌一
新興音楽出版(シンコー・ミュージック)の創業者の息子=二代目で、訳詞をしていた頃は専務をつとめていた(のちに社長→会長に)
音楽誌「ミュージック・ライフ」の初代編集長でもある
そんな人がなぜ訳詞を?
つまり音楽出版会社だから、外国の曲の版権を持っていた
でも曲が売れない事にはビジネスにならない
そこで考えついたのが、日本語で日本の歌手に歌わせてヒットさせる…という事だったのだ
じゃあ俺が詞を書くよ♪という調子で、どんどん書いていったらしい
当時はテレビも創成期であり、若い歌手の活躍の場になったのも効を奏した(ベテランの歌手は、客にタダで歌を聞かせるのを嫌がって、出演を渋っていた)
オマケに草野昌一の弟(草野浩二)は東芝EMIのディレクターだったので、
ワガママを言い合いながらも、楽しくレコーディングをしていたそうだ…草野兄弟、いいな♪
外国でヒットしたからといって、日本でもヒットするとは限らない
その逆も然り…
草野昌一は「日本で売れそうな曲」を優先的に契約…日本での版権を買い漁っていた
日本の版権ビジネスの第一人者ですね
湯川れい子は「ミュージック・ライフ」と専属契約で、やがて訳詞も手掛けるようになる
安井かずみ、岩谷時子も訳詞からスタートして、和製ポップスの作詞家になっている
和製ポップスの歌詞は、訳詞感覚で作詞されている…といえますね
楽器をやる人は、シンコー・ミュージックの楽譜にはお世話になったのではないでしょうか?
音楽ファンは「ミュージック・ライフ」もね♪
それでは、また♪
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