忘れじのグローリア〜「月刊ポルナレフ」6月増大号
Michel Polnareff
Gloria
1970
「月刊ポルナレフ」・・・今月号は増大号として「特集:ポルナレフの変容〜青年ミッシェルからスター、ポルナレフへ」をお送りします
今月の歌「忘れじのグローリア」との2本立てです
7月3日はミッシェル・ポルナレフの71回目の誕生日・・・という事でね♪
欲張りすぎて、また今月号も締め切りギリギリになってしまいましたが(笑)
さあ、今月もポルナレフの世界で思い切り遊んでみよう♪
ミッシェル・ポルナレフといえば、やはり「カーリー・ヘアに、白ブチのサングラスの人」というイメージが強い(画像)
これはカッコイイのか?イヤ、そうは思えない
明らかに変だ・・・子供心に宇宙人みたいだな♪なんて思っていたよ(笑)
しかし、このルックスになったのは意外に遅く、レコードのジャケットで確認できるのは72年の大ヒット「愛の休日」以降の事なんです
71年の「シェリーに口づけ」の日本盤ジャケットでもサングラスはかけているが、改めて見直すと まだストレート・ヘアのポルナレフだったりする・・・
それなのに違和感がないというのは、強烈なイメージで上書きされたという事なのかもしれない
完全に刷り込まれていたという訳だなぁ・・・
日本ではCBSソニー(エピック・レーベル)に移籍してからメジャーになったというのもあるが、素顔のポルナレフが拝めるのはファースト・アルバムのジャケットくらいのものだった
だから素顔時代はデビュー当時だけなのだろうと錯覚してしまったのも無理はない
現在はYouTubeで過去の映像が簡単に視聴できるので、あれ?素顔の時代が想像以上に長いぞ?と驚かされてしまった訳だ
完全に刷り込まれていたんだなぁ・・・
ここで整理してみよう
第1期は「ミッシェル青年期」・・・これはデビューの66年から68年までの素顔時代だ
つぶらな瞳の青年ミッシェルは純真で繊細な印象だ・・・あくまでもイメージですけどね(笑)
第2期は「プレ・ポルナレフ期」・・・69年から71年がここに該当する
この時期からサングラスを着用するようにはなったが、まだ普通のサングラスであり、ヘアスタイルもデビュー当時のサラサラなストレート・ヘアのままだ
眼鏡の使用は視力の低下によるもので致し方ないものだったらしいが、サングラスにしたところが芸能人ポルナレフの予兆を感じさせる
ポルナレフ化が進行しているといっても差し支えないだろう
そして72年以降が第3期、「俺様ポルナレフ君臨期」・・・ここで完全にポルナレフ化を果たす(笑)
正確には71年の秋で、このイメージ・チェンジは当時フランスのメディアでも大きく報道されたらしい
恩人ルシアン・モリスの自殺や母親の容態悪化、マネージャーの金銭持ち逃げなどで精神的なダメージが大きかったのか?
ついにアタマが爆発して、チリチリ・ヘアになったのかもしれない・・・な訳ないか?(笑)
この変貌にはポルナレフ本人がいたく御満悦だったそうで、
完全な別人として、新たな人格を手に入れたポルナレフは一人、フフフ・・・と ほくそ笑んでいたに違いない♪
これはグラム・ロックの時代に便乗した・・・あるいは同じピアノ弾きのシンガー・ソングライター、エルトン・ジョンの奇抜な衣装、台頭に影響されたと考えられなくもない
奇しくもほぼ同時期なんです
このニュー・ポルナレフは、派手でワガママ、神経質そうでピリピリしている・・・といった印象を与える
確かにこれはロック・スター!という感じがするね♪
このポルナレフの新人格によって、伝説の数々の奇行が始まったのではないか?
見るからに奇人、変人だもんなぁ・・・俺様、ポルナレフの奇行をもう誰も止められない
中でも有名なのが、来日時に「東京は空気が汚い・・・酸素ボンベを用意しろ!」と日本のスタッフを慌てさせた事だろう
証拠として、日本のホテルで浴衣を着て、酸素ボンベのある部屋でくつろいでいるポルナレフの写真が残されている
冗談ではなく、マジだったんだな
また本国で、オランピア劇場の公演のポスターに自分のヌード写真を披露して、物議を醸した事も奇行の第一に挙げられるだろう
元々、自分の肉体にはコンプレックスを持っていたらしい・・・ブルワーカーの雑誌広告みたいに、女性から「貧弱な坊や」とバカにされたのかな?(笑)
肉体改造して、極真空手の有段者になってからは、その反動で露出狂になってしまったんだろうね
イヤ〜ポルナレフ、やってくれます♪
これは素顔のミッシェル青年には考えられない突き抜け方だと思うよ
井上陽水も70年代はカーリー・ヘアだったけど、それはどうやらポルナレフの影響だったらしい
御本家ポルナレフは現在でもカーリー・ヘアに白ブチサングラスで健在ですよ♪
ただし寄る年波で、チリチリヘアは大分薄くなってしまいましたが・・・(笑)
フランスでは現在でも国民的なスターですが、フランスには帰国しないで今もロスアンゼルスで暮らしています
やっぱり偏屈なんですね〜(笑)そうこなくっちゃ♪
それではここらで一服しますか♪ ポルナレフのように浴衣でくつろぐとしよう
みんな、酸素ボンベは用意したかい?(笑)
ミッシェル・ポルナレフで「忘れじのグローリア」をお聴き下さい・・・
https://youtu.be/DQzmBv__ymQ
「忘れじのグローリア」は、日本では72年の大ヒット「愛の休日」に続くシングルとして73年にリリースされた
72年には初来日もしていて、ポルナレフ人気も最高潮の時期でしたね♪
悲しみを高らかに歌い上げるこの曲を聴くと、あの当時のポルナレフ・ブームの高まりを思い起こすんです
当時のポルナレフとカーペンターズはマニアックな洋楽というジャンルを越えて、日本の全音楽ファンに受け入れられていた・・・あの支持のされ方はちょっと他に類を見ない
ひょっとしたら、ポルナレフとカーペンターズの楽曲は「歌謡曲」として親しまれていた・・・という事なのかもしれないね
この曲はフランスでは70年に発表されている・・・いわゆるプレ・ポルナレフ期(笑)の曲だ
(オマエが勝手に言ってるだけだろう・・・って話ですが♪)
新曲ではなくて、過去のフランスでのヒット曲を持ち出してきたところが、日本のレコード会社もなかなかあざといね!
確実なヒットが欲しかったのかな?
まあ、そんな過去の実績に囚われているようではまだまだだな(笑)
この曲はピエール・ドラノエ作詞、ポール・ドゥ・センヌヴィル作曲の作品で、ポルナレフの作曲ではない
それまでも作詞家が作詞するケースはあったが、作曲はポルナレフ本人が行っていた
優れた作曲家であるポルナレフがどうして他人の作品をシングルとしてリリースしたのか?
スランプ?それはない
真のアーティストは逆境によって、その表現がさらに輝きを増すものだしね
この曲を作曲したポール・ドゥ・センヌヴィルはポルナレフが所属していたレコード会社、ディスクAZのディレクター
この時期にポルナレフの担当になったので、ポルナレフに無理矢理自作曲を歌わせたという事らしい
作曲とはいっても、ポール・ドゥ・センヌヴィルはピアノは弾けないし、楽譜も読めない・・・プロの作曲家というより、ディレクターが作曲にしゃしゃり出たといった所だ
「わかったよ、ポール。そのかわりB面は自分で書くからね?どっちの曲が受けるか勝負しよう」
「何言ってんだよ、ミシェル。B面がヒットする訳ないだろう?」
「じゃあ、もしB面をヒットさせたら約束してほしい事があるんだ」
「面白い・・・聞かせてもらおうじゃないか」
「アルバムを制作させてほしい。今までのアルバムは4曲入りEPとしてリリースされた曲の寄せ集めだろ?もう、そんな時代じゃないんだ。ビートルズのサージェント・ペパーズは聴いただろう?トータル・アルバムとして新曲を録音するんだ。アーティストとして、シングル・ヒット狙いのポップ・チューンばかり書いているようじゃ もう時代遅れなんだよ」
そしてポルナレフはホントにB面曲の「僕は男なんだよ」を大ヒットさせます
フランスではポルナレフの代表曲の一つにもなっているんだから大したものだね
この曲はポルナレフのホモ疑惑を逆手に取った歌になっていて、話題作りでポルナレフの作戦勝ちといった所だろう
(こちらも作詞はピエール・ドラノエ)
なおポルナレフとポール・ドゥ・センヌヴィルの会話は全くの憶測ですが(笑)
確かに「忘れじのグローリア」は聴き込むとポルナレフの楽曲らしくない箇所が散見される
まずスケールが大きすぎる・・・ポルナレフはここまで大仰な曲は書かない
メロディの音数も少ないし、休符が多いのも微妙にポルナレフしていない
ポルナレフが書きそうで、実は書かない曲をディレクターの視点で提案しているのが、なかなか心憎い
ここでのポルナレフはヴォーカリストに徹していて、独特の泣き節まで披露している・・・やっぱりいい歌手なんだな♪
緻密なアレンジも特筆モノで、小技が効いている
シンセザイザーの導入が70年代の到来を告げているね♪
ここまで完全なプロダクションを施すと、結果として歌謡曲に接近する事になる
この曲は♪グロ〜リア・・・だが、♪ニ〜ナ・・・と歌った沢田研二の「追憶」、
♪ロ〜ラ・・・と歌った西城秀樹の「傷だらけのローラ」は、明らかに「忘れじのグローリア」を下敷きに作られているのは間違いない
ポルナレフはこの曲に違和感があったのかもしれない
ライブ音源では自分の歌い回しに近づけようとしているのか?テンポを速めたアレンジになっていて、オリジナルの壮大なスケール感を失っている・・・台無しだな(笑)
でもイントロや間奏のメロディは、ライブ・バージョンの方がずっとポルナレフらしくていいね♪
「Gloria」 Live Audio
ポール・ドゥ・センヌヴィルはこの後、リチャード・クレイダーマンのデビュー曲にして代表曲「渚のアデリーヌ」を作曲している
とてもフンフンフ〜ンと鼻歌で作曲したとは思えない・・・なかなか大した作曲家なんだよ
「忘れじのグローリア」はドラマチックなのがいいんだな
やはりサビでメジャー(長調)になるのがいい
この高らかな歌い上げの連続は、ポルナレフも密かにいいな♪と思っていたんじゃないだろうか?
この曲は当時のシングルとしてはかなり長めの部類だね・・・ホントになかなか終わらない曲なんだ(笑)
この歌い上げパターンは後の自作「愛の伝説」で応用しているような気がするんだけどね♪
♪ グロリア・・・
君をしっかり愛する事ができなかった
僕を許してくれ
僕の岸辺に戻ってくれ
グロリア・・・
何故君は去ってしまったのか
この長い旅を僕は一人で終える事はできない
グロリア・・・
グロリア!(栄光あれ)というのは、賛美歌でよく聴かれるフレーズだ
この曲は失った愛の賛美歌という事なのかもしれないね♪
Gloria
1970
「月刊ポルナレフ」・・・今月号は増大号として「特集:ポルナレフの変容〜青年ミッシェルからスター、ポルナレフへ」をお送りします
今月の歌「忘れじのグローリア」との2本立てです
7月3日はミッシェル・ポルナレフの71回目の誕生日・・・という事でね♪
欲張りすぎて、また今月号も締め切りギリギリになってしまいましたが(笑)
さあ、今月もポルナレフの世界で思い切り遊んでみよう♪
ミッシェル・ポルナレフといえば、やはり「カーリー・ヘアに、白ブチのサングラスの人」というイメージが強い(画像)
これはカッコイイのか?イヤ、そうは思えない
明らかに変だ・・・子供心に宇宙人みたいだな♪なんて思っていたよ(笑)
しかし、このルックスになったのは意外に遅く、レコードのジャケットで確認できるのは72年の大ヒット「愛の休日」以降の事なんです
71年の「シェリーに口づけ」の日本盤ジャケットでもサングラスはかけているが、改めて見直すと まだストレート・ヘアのポルナレフだったりする・・・
それなのに違和感がないというのは、強烈なイメージで上書きされたという事なのかもしれない
完全に刷り込まれていたという訳だなぁ・・・
日本ではCBSソニー(エピック・レーベル)に移籍してからメジャーになったというのもあるが、素顔のポルナレフが拝めるのはファースト・アルバムのジャケットくらいのものだった
だから素顔時代はデビュー当時だけなのだろうと錯覚してしまったのも無理はない
現在はYouTubeで過去の映像が簡単に視聴できるので、あれ?素顔の時代が想像以上に長いぞ?と驚かされてしまった訳だ
完全に刷り込まれていたんだなぁ・・・
ここで整理してみよう
第1期は「ミッシェル青年期」・・・これはデビューの66年から68年までの素顔時代だ
つぶらな瞳の青年ミッシェルは純真で繊細な印象だ・・・あくまでもイメージですけどね(笑)
第2期は「プレ・ポルナレフ期」・・・69年から71年がここに該当する
この時期からサングラスを着用するようにはなったが、まだ普通のサングラスであり、ヘアスタイルもデビュー当時のサラサラなストレート・ヘアのままだ
眼鏡の使用は視力の低下によるもので致し方ないものだったらしいが、サングラスにしたところが芸能人ポルナレフの予兆を感じさせる
ポルナレフ化が進行しているといっても差し支えないだろう
そして72年以降が第3期、「俺様ポルナレフ君臨期」・・・ここで完全にポルナレフ化を果たす(笑)
正確には71年の秋で、このイメージ・チェンジは当時フランスのメディアでも大きく報道されたらしい
恩人ルシアン・モリスの自殺や母親の容態悪化、マネージャーの金銭持ち逃げなどで精神的なダメージが大きかったのか?
ついにアタマが爆発して、チリチリ・ヘアになったのかもしれない・・・な訳ないか?(笑)
この変貌にはポルナレフ本人がいたく御満悦だったそうで、
完全な別人として、新たな人格を手に入れたポルナレフは一人、フフフ・・・と ほくそ笑んでいたに違いない♪
これはグラム・ロックの時代に便乗した・・・あるいは同じピアノ弾きのシンガー・ソングライター、エルトン・ジョンの奇抜な衣装、台頭に影響されたと考えられなくもない
奇しくもほぼ同時期なんです
このニュー・ポルナレフは、派手でワガママ、神経質そうでピリピリしている・・・といった印象を与える
確かにこれはロック・スター!という感じがするね♪
このポルナレフの新人格によって、伝説の数々の奇行が始まったのではないか?
見るからに奇人、変人だもんなぁ・・・俺様、ポルナレフの奇行をもう誰も止められない
中でも有名なのが、来日時に「東京は空気が汚い・・・酸素ボンベを用意しろ!」と日本のスタッフを慌てさせた事だろう
証拠として、日本のホテルで浴衣を着て、酸素ボンベのある部屋でくつろいでいるポルナレフの写真が残されている
冗談ではなく、マジだったんだな
また本国で、オランピア劇場の公演のポスターに自分のヌード写真を披露して、物議を醸した事も奇行の第一に挙げられるだろう
元々、自分の肉体にはコンプレックスを持っていたらしい・・・ブルワーカーの雑誌広告みたいに、女性から「貧弱な坊や」とバカにされたのかな?(笑)
肉体改造して、極真空手の有段者になってからは、その反動で露出狂になってしまったんだろうね
イヤ〜ポルナレフ、やってくれます♪
これは素顔のミッシェル青年には考えられない突き抜け方だと思うよ
井上陽水も70年代はカーリー・ヘアだったけど、それはどうやらポルナレフの影響だったらしい
御本家ポルナレフは現在でもカーリー・ヘアに白ブチサングラスで健在ですよ♪
ただし寄る年波で、チリチリヘアは大分薄くなってしまいましたが・・・(笑)
フランスでは現在でも国民的なスターですが、フランスには帰国しないで今もロスアンゼルスで暮らしています
やっぱり偏屈なんですね〜(笑)そうこなくっちゃ♪
それではここらで一服しますか♪ ポルナレフのように浴衣でくつろぐとしよう
みんな、酸素ボンベは用意したかい?(笑)
ミッシェル・ポルナレフで「忘れじのグローリア」をお聴き下さい・・・
https://youtu.be/DQzmBv__ymQ
「忘れじのグローリア」は、日本では72年の大ヒット「愛の休日」に続くシングルとして73年にリリースされた
72年には初来日もしていて、ポルナレフ人気も最高潮の時期でしたね♪
悲しみを高らかに歌い上げるこの曲を聴くと、あの当時のポルナレフ・ブームの高まりを思い起こすんです
当時のポルナレフとカーペンターズはマニアックな洋楽というジャンルを越えて、日本の全音楽ファンに受け入れられていた・・・あの支持のされ方はちょっと他に類を見ない
ひょっとしたら、ポルナレフとカーペンターズの楽曲は「歌謡曲」として親しまれていた・・・という事なのかもしれないね
この曲はフランスでは70年に発表されている・・・いわゆるプレ・ポルナレフ期(笑)の曲だ
(オマエが勝手に言ってるだけだろう・・・って話ですが♪)
新曲ではなくて、過去のフランスでのヒット曲を持ち出してきたところが、日本のレコード会社もなかなかあざといね!
確実なヒットが欲しかったのかな?
まあ、そんな過去の実績に囚われているようではまだまだだな(笑)
この曲はピエール・ドラノエ作詞、ポール・ドゥ・センヌヴィル作曲の作品で、ポルナレフの作曲ではない
それまでも作詞家が作詞するケースはあったが、作曲はポルナレフ本人が行っていた
優れた作曲家であるポルナレフがどうして他人の作品をシングルとしてリリースしたのか?
スランプ?それはない
真のアーティストは逆境によって、その表現がさらに輝きを増すものだしね
この曲を作曲したポール・ドゥ・センヌヴィルはポルナレフが所属していたレコード会社、ディスクAZのディレクター
この時期にポルナレフの担当になったので、ポルナレフに無理矢理自作曲を歌わせたという事らしい
作曲とはいっても、ポール・ドゥ・センヌヴィルはピアノは弾けないし、楽譜も読めない・・・プロの作曲家というより、ディレクターが作曲にしゃしゃり出たといった所だ
「わかったよ、ポール。そのかわりB面は自分で書くからね?どっちの曲が受けるか勝負しよう」
「何言ってんだよ、ミシェル。B面がヒットする訳ないだろう?」
「じゃあ、もしB面をヒットさせたら約束してほしい事があるんだ」
「面白い・・・聞かせてもらおうじゃないか」
「アルバムを制作させてほしい。今までのアルバムは4曲入りEPとしてリリースされた曲の寄せ集めだろ?もう、そんな時代じゃないんだ。ビートルズのサージェント・ペパーズは聴いただろう?トータル・アルバムとして新曲を録音するんだ。アーティストとして、シングル・ヒット狙いのポップ・チューンばかり書いているようじゃ もう時代遅れなんだよ」
そしてポルナレフはホントにB面曲の「僕は男なんだよ」を大ヒットさせます
フランスではポルナレフの代表曲の一つにもなっているんだから大したものだね
この曲はポルナレフのホモ疑惑を逆手に取った歌になっていて、話題作りでポルナレフの作戦勝ちといった所だろう
(こちらも作詞はピエール・ドラノエ)
なおポルナレフとポール・ドゥ・センヌヴィルの会話は全くの憶測ですが(笑)
確かに「忘れじのグローリア」は聴き込むとポルナレフの楽曲らしくない箇所が散見される
まずスケールが大きすぎる・・・ポルナレフはここまで大仰な曲は書かない
メロディの音数も少ないし、休符が多いのも微妙にポルナレフしていない
ポルナレフが書きそうで、実は書かない曲をディレクターの視点で提案しているのが、なかなか心憎い
ここでのポルナレフはヴォーカリストに徹していて、独特の泣き節まで披露している・・・やっぱりいい歌手なんだな♪
緻密なアレンジも特筆モノで、小技が効いている
シンセザイザーの導入が70年代の到来を告げているね♪
ここまで完全なプロダクションを施すと、結果として歌謡曲に接近する事になる
この曲は♪グロ〜リア・・・だが、♪ニ〜ナ・・・と歌った沢田研二の「追憶」、
♪ロ〜ラ・・・と歌った西城秀樹の「傷だらけのローラ」は、明らかに「忘れじのグローリア」を下敷きに作られているのは間違いない
ポルナレフはこの曲に違和感があったのかもしれない
ライブ音源では自分の歌い回しに近づけようとしているのか?テンポを速めたアレンジになっていて、オリジナルの壮大なスケール感を失っている・・・台無しだな(笑)
でもイントロや間奏のメロディは、ライブ・バージョンの方がずっとポルナレフらしくていいね♪
「Gloria」 Live Audio
ポール・ドゥ・センヌヴィルはこの後、リチャード・クレイダーマンのデビュー曲にして代表曲「渚のアデリーヌ」を作曲している
とてもフンフンフ〜ンと鼻歌で作曲したとは思えない・・・なかなか大した作曲家なんだよ
「忘れじのグローリア」はドラマチックなのがいいんだな
やはりサビでメジャー(長調)になるのがいい
この高らかな歌い上げの連続は、ポルナレフも密かにいいな♪と思っていたんじゃないだろうか?
この曲は当時のシングルとしてはかなり長めの部類だね・・・ホントになかなか終わらない曲なんだ(笑)
この歌い上げパターンは後の自作「愛の伝説」で応用しているような気がするんだけどね♪
♪ グロリア・・・
君をしっかり愛する事ができなかった
僕を許してくれ
僕の岸辺に戻ってくれ
グロリア・・・
何故君は去ってしまったのか
この長い旅を僕は一人で終える事はできない
グロリア・・・
グロリア!(栄光あれ)というのは、賛美歌でよく聴かれるフレーズだ
この曲は失った愛の賛美歌という事なのかもしれないね♪
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Comments
隣の部屋じゃないんだけど、隣の家のステレオからいつもベースラインだけが聞こえてきたしね
何の曲なんだろう?いつも同じ曲なんだけどわからない
意を決して家の前まで行ってみたら、郷ひろみの「花とみつばち」だったよ(笑)
なかなかベースラインだけで曲当ては難しいもんです
イントロ当てクイズよりマニアックで面白かったけどね♪
何度もすいません
隣の部屋で聴くと、ベースラインがよくわかるんです(笑)
耳コピ派にはオススメ(笑)
なかなかこんな話する事もないけど、みんな密かにやっていたのかもしれないね(笑)
あれ、慣れてくるとジャストのチューニングでは物足りなくなってくるんだよね
レコードでも随分遊びました
LPを45回転で再生するとベース・ランがよくわかるんです・・・これはオススメ!(笑)
チューニングを少しずらして、高音を強調・・・
同じことしてた(笑)
というか、それをしてたことさえ忘れてたけど、思い出した。
確かにやってた(笑)
曲によって一番カッコよく聴こえるようにチューニングをずらしてた。
ガキ独特の工夫だね(笑)
FM聴くようになってから、やらなくなったけどね・・・
そして「忘れじのグローリア」が決定的だったね!
「愛の休日」の頃は小6でした・・・クラスで5、6人だけだったけど、洋楽で盛り上がってました(笑)
兄ちゃんとか姉ちゃんとか、上に兄弟がいる奴はやっぱり色々と詳しいんだよ・・・小学生のクセにね
それが悔しかった・・・だから負けじとマニアックになってしまったのかもしれない(笑)
当時は「ベストテン北海道」の裏番組、STVラジオの「ハイ!ダイヤルリクエストです」を聞いていました・・・こっちは洋楽専門だったしね
1位になるとフル・コーラスでかけてくれて嬉しかったな♪ この曲は、ポルナレフの歌が終わってからが長いんだね・・・特別な曲だったな
AMラジオの音!もちろん好きです♪ モノラル・レコードとの相性も最高!
チューニングを少しずらして、高音を強調したりして楽しんでました(笑)
小学生〜中学生の頃かな、もっとも好んで聴いてた覚えが。
なかなか終わらないところが良くて、ずっと終わって欲しくないと思ってたよ。
ヘイジュードと同じ感覚かな?
まだポルナレフを認識していなかった小学生のとき・・・
ある夕方、台所に置いてあった古いAMラジオから、ベストテン北海道が流れてて、この曲がノイズ混じりで聴こえてきたんだ。
ずっと続くエンディングが耳に残って離れず、当時クラシックピアノをやっていたオレは、仰々しいドラマチックな展開がなんともいえず心地よくて。
そして徐々に、愛の休日など、耳に残ってた曲はみんなポルナレフだということがわかってきて、「シェリーに口づけ」のシングルをキッカケにマニア化していったってワケ。
「忘れじのグローリア」は、AMラジオのノイズ混じりが最高ですぜ!(笑)