ブルー・ヴァレンタイン・デイ
大滝詠一
「ブルー・ヴァレンタイン・デイ」
作詞・作曲 大滝詠一
1977年(昭和52年)
(シングル・カットは1978年です)
以前マゼンタさんからリクエストのあった日本のシティ・ポップスでしたが…
ここでやっと取り上げてみたいと思います(マゼンタさんも忘れているかもな〜)
まさしく昨日がバレンタイン・デーという事で…
実はこの曲で2月のアタマにアップを予定していたんですが、結局バレンタインに間に合いませんでしたね
(どうも自分の記事が気に入らなくて…何回かボツにしたんです)
この曲はアルバム「ナイアガラ・カレンダー」収録です
1月から12月まで各月にちなんだ曲を並べるというアイディアですね〜さすがです
2月はこの曲で、シングルにもなりました(残念ながらヒットはしてませんが)
https://www.youtube.com/watch?v=oz_YftdB0i0
魅惑のクルーナー・ヴォイスですね♪
この後の大ヒット・アルバム「ア・ロング・ヴァケイション」を予感させる王道なポップスになっています
そうなんです…これだけの力量がありながら、「ロンバケ」みたいなアルバムをずっと作らなかった人なんですよ
なんたって「ナイアガラ音頭」の人ですからね〜(ファンクですよ、これは!)
歌詞もいっつもふざけてるしさ〜
70年代から知っている世代は、特にそう思ってると思うよ
山下達郎もそうなんだけど、すぐに売れた訳ではないからなのか、かな〜り屈折しているよね
伝説のバンド「はっぴいえんど」(細野晴臣、大滝詠一、鈴木茂、松本隆)は最後のシングル「さよならアメリカ、さよならニッポン」がリアルタイムでしたね…ギリギリだ
当時はまだアングラな感じでしたよ
ただ中学時代から月刊ミュージック・マガジンを読んでいたので、かつて誌上で騒がれた日本語論争の余波は感じていたんです
ロックは日本語で歌うべきか、英語で歌うべきかって奴ね
英語派は内田裕也サンが筆頭で…世界を相手にするなら確かに英語なんだけど…
これにはっぴいえんども参戦していたので、日本語のロックは、はっぴいえんどから始まった…という事になっている
確かにかなり実験的な日本語の乗せ方をしていて革命的なんだけど、それ以前にもグループ・サウンズというものがあったよね?…そこはちょっと持ち上げすぎな気がする
ただ遠藤賢司や岡林信康のバック・バンドとして、ライブだけではなくレコーディングにも参加していますからね〜歴史的なグループなのは間違いないです
作詞作曲、プロデュースの他に自身のレーベル(大滝→ナイアガラってウマイよな〜)
さらには原盤制作、エンジニアリングまで…ここまでマニアックな人はいないよね
原盤権を持つにはそれ相当の勉強が必要…日本では大滝詠一と矢沢永吉くらいじゃないですかね?エイちゃんつながり?
ナイアガラ・レコードではシュガーベイブ(山下達郎が在籍)がデビューしてるんですね
「ダウンタウン」痺れましたね〜
EPOがデビュー曲としてカバーしてました…マルタツと同い年なんです…やっぱりシュガーベイブに痺れたんでしょうね
あとクレイジーケンバンドの横山剣も同い年で、「あぶく」という曲は「ダウンタウン」にインスパイアされた曲だと本人が語っています
ダウンタウン
あぶく
その後が「ナイアガラ・トライアングルVol.1」かな?山下達郎と伊藤銀次ですね
伊藤銀次は…佐野元春やウルフルズのプロデュース、「ダウンタウン」の作詞、「笑っていいとも!」の「ウキウキWatching」の作曲者としての方が有名なんでしょうかね…
「ナイアガラ音頭」が入っているのがこのアルバムです
その他には自身が制作したCMソング集とか、多羅尾伴内名義でインスト・アルバムなんかも出しているんですね
「30歳になるまでは歌わない(歌手としてのアルバムは出さない)」と豪語していましたが…確かにロンバケは81年…30歳を過ぎてからですからね
あとソングライターとしては「夢で逢えたら」がありました
吉田美奈子バージョンが有名かな?これは名曲ですな…でもこれもヒットしたとは言えないんですね
夢で逢えたら
80年代に入ってからはね〜もうビックリするくらい売れちゃいましたもんね〜
小林旭「熱き心に」、森進一「冬のリヴィエラ」も忘れちゃいけません
松田聖子「風立ちぬ」はアルバム片面全曲ですからね〜
やっぱり松本隆との戦友コンビは最強かな?
大滝詠一のおちゃらけた歌詞もイイ味なんだけど…あ、「うなずきマーチ」は大滝詠一作詞だった!
イヤー、大滝詠一…ファンもマニアックなんだよね〜(笑)
まだ物足りない?
それじゃあ「ブルー・ヴァレンタイン・デイ」についてもう少し…
はっぴいえんどの前身がヴァレンタイン・ブルーというバンド名でして…「幸せな結末」もはっぴいえんどに掛けたタイトルですからね
それからこの曲の転調はニール・セダカ「悲しき慕情(Breaking Up Is Hard To Do)」と同じ進行ですね
これはオリジナルより、カーペンターズのカバーやニール・セダカ本人のスローなカバー(悲しき慕情’76)に親しんでいたので気付いたんです
…もうこの辺で勘弁してほしいな(笑)
悲しき慕情’76
さてシティ・ポップスについてもザックリ語ってしまおう
75年のシュガーベイブ「ダウンタウン」や愛奴(浜田省吾が在籍)の「二人の夏」は仲間内では凄い評判が良かった
でも誰もレコードは買っていなかった(そりゃあヒットしないよね)
こういった洋楽テイストが好きな奴は洋楽を買っていたんだね
あとこの頃のドラマで「俺たちの旅」があるんだけど、
当時の大学生がこういったシティ・ポップスを受け入れるとは到底思えない
(カースケならフォークだろう)
大学生がPOPEYEを読んで垢抜けて、
クルマを持つようになって、ドライブしながらオシャレなシティ・ポップスを流す…
そんな80年代が来なければ、シティ・ポップスの出番はなかったのかもしれない…
(あくまでもマルタツ説ですよ)
今年は大滝詠一84年のラスト・アルバム「イーチ・タイム」の30周年記念で、本人もリマスタリングを手掛けるのを楽しみにしていたはず…
林檎を喉に詰まらせて?…最後の最後におちゃらけるんだもんね〜
ミスター・ナイアガラ…R.I.P.
「ブルー・ヴァレンタイン・デイ」
作詞・作曲 大滝詠一
1977年(昭和52年)
(シングル・カットは1978年です)
以前マゼンタさんからリクエストのあった日本のシティ・ポップスでしたが…
ここでやっと取り上げてみたいと思います(マゼンタさんも忘れているかもな〜)
まさしく昨日がバレンタイン・デーという事で…
実はこの曲で2月のアタマにアップを予定していたんですが、結局バレンタインに間に合いませんでしたね
(どうも自分の記事が気に入らなくて…何回かボツにしたんです)
この曲はアルバム「ナイアガラ・カレンダー」収録です
1月から12月まで各月にちなんだ曲を並べるというアイディアですね〜さすがです
2月はこの曲で、シングルにもなりました(残念ながらヒットはしてませんが)
https://www.youtube.com/watch?v=oz_YftdB0i0
魅惑のクルーナー・ヴォイスですね♪
この後の大ヒット・アルバム「ア・ロング・ヴァケイション」を予感させる王道なポップスになっています
そうなんです…これだけの力量がありながら、「ロンバケ」みたいなアルバムをずっと作らなかった人なんですよ
なんたって「ナイアガラ音頭」の人ですからね〜(ファンクですよ、これは!)
歌詞もいっつもふざけてるしさ〜
70年代から知っている世代は、特にそう思ってると思うよ
山下達郎もそうなんだけど、すぐに売れた訳ではないからなのか、かな〜り屈折しているよね
伝説のバンド「はっぴいえんど」(細野晴臣、大滝詠一、鈴木茂、松本隆)は最後のシングル「さよならアメリカ、さよならニッポン」がリアルタイムでしたね…ギリギリだ
当時はまだアングラな感じでしたよ
ただ中学時代から月刊ミュージック・マガジンを読んでいたので、かつて誌上で騒がれた日本語論争の余波は感じていたんです
ロックは日本語で歌うべきか、英語で歌うべきかって奴ね
英語派は内田裕也サンが筆頭で…世界を相手にするなら確かに英語なんだけど…
これにはっぴいえんども参戦していたので、日本語のロックは、はっぴいえんどから始まった…という事になっている
確かにかなり実験的な日本語の乗せ方をしていて革命的なんだけど、それ以前にもグループ・サウンズというものがあったよね?…そこはちょっと持ち上げすぎな気がする
ただ遠藤賢司や岡林信康のバック・バンドとして、ライブだけではなくレコーディングにも参加していますからね〜歴史的なグループなのは間違いないです
作詞作曲、プロデュースの他に自身のレーベル(大滝→ナイアガラってウマイよな〜)
さらには原盤制作、エンジニアリングまで…ここまでマニアックな人はいないよね
原盤権を持つにはそれ相当の勉強が必要…日本では大滝詠一と矢沢永吉くらいじゃないですかね?エイちゃんつながり?
ナイアガラ・レコードではシュガーベイブ(山下達郎が在籍)がデビューしてるんですね
「ダウンタウン」痺れましたね〜
EPOがデビュー曲としてカバーしてました…マルタツと同い年なんです…やっぱりシュガーベイブに痺れたんでしょうね
あとクレイジーケンバンドの横山剣も同い年で、「あぶく」という曲は「ダウンタウン」にインスパイアされた曲だと本人が語っています
ダウンタウン
あぶく
その後が「ナイアガラ・トライアングルVol.1」かな?山下達郎と伊藤銀次ですね
伊藤銀次は…佐野元春やウルフルズのプロデュース、「ダウンタウン」の作詞、「笑っていいとも!」の「ウキウキWatching」の作曲者としての方が有名なんでしょうかね…
「ナイアガラ音頭」が入っているのがこのアルバムです
その他には自身が制作したCMソング集とか、多羅尾伴内名義でインスト・アルバムなんかも出しているんですね
「30歳になるまでは歌わない(歌手としてのアルバムは出さない)」と豪語していましたが…確かにロンバケは81年…30歳を過ぎてからですからね
あとソングライターとしては「夢で逢えたら」がありました
吉田美奈子バージョンが有名かな?これは名曲ですな…でもこれもヒットしたとは言えないんですね
夢で逢えたら
80年代に入ってからはね〜もうビックリするくらい売れちゃいましたもんね〜
小林旭「熱き心に」、森進一「冬のリヴィエラ」も忘れちゃいけません
松田聖子「風立ちぬ」はアルバム片面全曲ですからね〜
やっぱり松本隆との戦友コンビは最強かな?
大滝詠一のおちゃらけた歌詞もイイ味なんだけど…あ、「うなずきマーチ」は大滝詠一作詞だった!
イヤー、大滝詠一…ファンもマニアックなんだよね〜(笑)
まだ物足りない?
それじゃあ「ブルー・ヴァレンタイン・デイ」についてもう少し…
はっぴいえんどの前身がヴァレンタイン・ブルーというバンド名でして…「幸せな結末」もはっぴいえんどに掛けたタイトルですからね
それからこの曲の転調はニール・セダカ「悲しき慕情(Breaking Up Is Hard To Do)」と同じ進行ですね
これはオリジナルより、カーペンターズのカバーやニール・セダカ本人のスローなカバー(悲しき慕情’76)に親しんでいたので気付いたんです
…もうこの辺で勘弁してほしいな(笑)
悲しき慕情’76
さてシティ・ポップスについてもザックリ語ってしまおう
75年のシュガーベイブ「ダウンタウン」や愛奴(浜田省吾が在籍)の「二人の夏」は仲間内では凄い評判が良かった
でも誰もレコードは買っていなかった(そりゃあヒットしないよね)
こういった洋楽テイストが好きな奴は洋楽を買っていたんだね
あとこの頃のドラマで「俺たちの旅」があるんだけど、
当時の大学生がこういったシティ・ポップスを受け入れるとは到底思えない
(カースケならフォークだろう)
大学生がPOPEYEを読んで垢抜けて、
クルマを持つようになって、ドライブしながらオシャレなシティ・ポップスを流す…
そんな80年代が来なければ、シティ・ポップスの出番はなかったのかもしれない…
(あくまでもマルタツ説ですよ)
今年は大滝詠一84年のラスト・アルバム「イーチ・タイム」の30周年記念で、本人もリマスタリングを手掛けるのを楽しみにしていたはず…
林檎を喉に詰まらせて?…最後の最後におちゃらけるんだもんね〜
ミスター・ナイアガラ…R.I.P.